vol.32 録音がなかった時代の音楽

つくづく思うのですが、私たちを取り巻く音楽環境はめまぐるしく変化してきました。

私が学生の頃など、レコードやCDを購入するのには、お小遣いの兼ね合いから躊躇していて、

その代りにラジオから流れるクラシック音楽をカセットテープに録音して聞いていたり、

やがてはCDを購入するようになるのですが、

気が付けば、ネットではYou Tubeなどの動画が見れるようになったり、

進化の波はどんどんと激しくなってきています。

私など、なかなか時代の変化に付いていくことが苦手なのでして、

音楽家なのに、これではいけないのかなあと思うこともしばしば。


でも、ちょっと待ってください。

というのも、あまりにもお手軽に音楽を聞く環境って、果たして手放しに喜ぶことばかりなのでしょうか?

確かに、録音が簡単に聞けることは大変便利なことですが、

「音楽を聞く」ということが浅くなってきているのかもしれません。

事実、クラシック音楽の演奏会に足を運んでみようという方々が減少してきているのも、

こういった要因も考えられます。

「わざわざ行かなくても、演奏はネットで聞けるから」

なんて声を聴くと、演奏活動をしている身としては残念なことです。


そう思うと、現代に生きる私たちは、「音楽を聞く」という事象について、非常に軽い事象になっていると思われます。

じゃあ、ここで逆説的に考えてみます。

もしも、録音がなかったら?



トーマス・エジソン
トーマス・エジソン

少なくとも、1877年に発明王であるトーマス・エジソンがレコードを開発する以前は、一般の人々が録音を聴くことはできなかったはずです。

ということは、音楽を聞くには、生の演奏を聴くことが唯一の方法だったのです。

「あの曲が聞きたい」

「あの人の演奏を聞きたい」

そういった、聞くことに対する欲求は、リアルに演奏を聴く以外に満たされることはなかったのでした。

これ、勿論、現代に生きる私たちからすれば、とんでもなく不便なことですが、

逆に、音楽を聞くことが大変ありがたく、貴重なシーンであったはずでして、

演奏行為そのものの価値は非常に高いものがあったはずです。

恐らく、19世紀末までの人々の耳は、今の私たちよりも相当集中力があり、音楽を聞くことが最高の娯楽だったり、案外聴覚のクォリティーが高かったかもしれません。



ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン
ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン

さて、展開としてはやや突然の話ですが、

古典派の巨匠、ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(1770-1827)が生きた18世紀末から19世紀初頭のウィーンの音楽社会に限定して考えてみます。

当然、この当時に録音はありません。

彼の書いた交響曲が初演で人気だったとしましょう。

「あの曲、よかったなあ。また聞きたいんだけど」

という願望はなかなか叶えられませんでした。

だって、オーケストラを聞くって、物理的な場所や経費などの観点からも、実に大変な出来事。

となると、なかなか編成の大きな曲の再演は困難を伴います。

このニーズにどのように応えたらいいのか?

そこで、原曲よりも編成を小さくした編曲版の普及が広まりました。

もしもオーケストラの曲をピアノだけで演奏できるとなると、庶民にとって音楽を体感することが容易くなりますし、

演奏する人も演奏体験が豊かになりますし、

その編曲版における芸術性や音楽性における議論や見解も生まれます。

また、曲を書く側にとっては、これってとてもありがたい話。

売れれば儲かりますからね。

となると、こういう音楽の楽しみ方の方が、現代の私たちよりも贅沢なのかもしれません。



そういった、クラシック音楽の時代再現という意義は大変興味深いことと考えています。

その実践として、私が組んでいます「クラリネット、コントラバス、ピアノの愉快なトリオ」では、この度3月14日の公演に於きまして原曲の編曲版を取り上げることをします。

その曲、ベートーヴェン/交響曲第2番ニ長調Op.36です。


この曲、1802年に作曲が完成。

当時としてはなかなか斬新な音楽だったようで、曲の人気が高まり、

初演されてから3年後の1805年にピアノ三重奏版が、作曲者自らの手によって書かれたとされています。

ベートーヴェンも時代のニーズをしっかりと読んでいたとも思われますね。

でも、この曲、他の作曲家による編曲が横行しまして、海賊版も含めれば20種類はあるとの説も!

そして、私たち「クラリネット、コントラバス、ピアノの愉快なトリオ」は、

ベートーヴェンが残したピアノ三重奏版を更に改訂して、私たちトリオの編成で演奏します。

このことは、壮大な実験でもあります。

ただ単にヴァイオリンのパートをクラリネットに、チェロのパートをコントラバスに置き換えるという単純な作業ではなく、

「もしもベートーヴェンがこのトリオを想定して書いたなら」

といった仮想を巡らしながら、時代再現を演奏で試みるというものなのです。

原曲のキャラクターが明るく、勿論ベートーヴェンらしくエキサイティングでもあり、美しくもありと、名曲であることは間違いないのですが、

さあ、これが私たちトリオの手に係るとどのような化学変化が起きるのでしょうか?

あたかも、「私たちが19世紀のウィーンにいたら?」みたいなことを想像してしまうような、そんな演奏シーンになればいいのになあと思っています。


私たち「愉快なトリオ」の演奏活動史上、もっともチャレンジングなこの企画。

来週からあわせ練習が開始されます。

楽しみと不安、きっと産みの苦しみもあるのでしょうが、

3月14日の公演まで、充実した取り組みを目指したいと思っています。

みなさまのご来場をお待ちしております。


2015.2.14