vol.7 ブラームスの思い出~その1~

ヨハネス・ブラームス
ヨハネス・ブラームス

高校生だった頃から、私はブラームスの作品が大変好きでした。

どうしてだったのか、そのきっかけが思い出せないのですが、

今でも勿論大好きな作曲家であり、彼の作品の多くを好んで聞きますし、いろんな作品を演奏する体験を持ってきました。

このコラムを書いている時期は、翌月にブラームスの交響曲第4番を演奏する1か月前。

「そういや、いろんなブラームスに出会ってきたなあ」と今更ながら痛感している次第。

そこで、このコラムでは数回に分けて、私が抱くブラームスの思い出を語ってみたいと思います。

1回目は意外にも合唱曲、ドイツ・レクイエムを取り上げます。

 

 

私が在学していました京都市立芸術大学では、最初の2年間に合唱の授業を受講することが義務付けられていました。

主に秋に開催されるオーケストラの定期演奏会に合唱も加わるというのが慣例となっていたのです。

私が入学した年、すなわち1993年の秋の定期演奏会では、前半のプログラムではコントラバスパートとして参加をして、

後半のプログラムがコーラスメンバーとして参加をすることとなっていたのです。

その時の曲目がブラームス/ドイツ・レクイエムだったのです。

 

 

マルティン・ルター
マルティン・ルター

この曲、ブラームスが1868年に完成したオーケストラと合唱、そしてソプラノ独唱とバリトン独唱を含んだ宗教曲です。

レクイエムとは簡単に説明をすれば、カトリック教会において死者の安息を神に祈るためのミサ曲と言いましょうか。

通常はラテン語による歌詞を歌うのですが、ブラームスは歌詞をドイツ語にしたのです。

というのも、ブラームスはプロテスタントの信者であったので、

宗教改革で功績のあったマルティン・ルターが訳したドイツ語版の聖書を基にして作曲したのでした。

 

こんな難しい曲、入学していきなり歌えというのは無謀とも思えたのですが、

何しろ男声の人数が極端に少ない大学ですから、

コントラバス専攻だという言い訳は全く通用しませんでした。

しかも、所属パートは寄りによってこれまた人数の少なく、パッセージの難しい部分が滅茶苦茶多いテノールだったのです。

演奏時間は約70分、当然暗譜するなど不可能でしたので、楽譜を見ながらの歌唱。

 

 

ところが、私にはとっても楽しい時間だったのです。

いや、難しかったですよ、歌うことそのものが大変でしたし、

音も滅茶苦茶高いところもあって(確か高いB♭まであったかなあ?)、

声楽専攻の学生ですら厳しいパッセージもあったはず。

でも、言語が私の中に気持ちよく入ってきたのでした。

それはドイツ語だったということ。

1991年夏にドイツへ50日間語学研修に留学していた経験があったこと、

中学から同志社大学卒業までの間に聖書に慣れ親しんでいたということ(同志社はプロテスタント系のキリスト教主義教育でした)、

そんなこともあって、この曲そのものが一気にお気に入りとなっていたのでした。

 

 

今から思えば、よくもそんな無茶なことをしたものだと感じてしまいます。

だって、一つの演奏会にコントラバス奏者と合唱を兼ねるのですし、

また難しい曲でしたからね。

でも、この曲を合唱のメンバーとして体験できたことは有意義でした。

これをコントラバス奏者として体験していたら、そんなに大きな思い出にはなっていなかったかもしれません。

 

 

今回はここまで。次回は指揮者としての思い出がある曲について書きます。

 

2013.6.9